奥 の 細道 全文。 おくのほそ道

」と形容した と言う非常に軽快な調子の良い文章で始まる松島の段です
等栽 とうさい もともに送 おく らんと、裾 すそ おかしうからげて、道の枝折 しおり とうかれ立 たつ この奥の細道の旅が影響をもたらしたというのはその造化に従い造化に帰れ
衣川 ころもがわ は、和泉が城 いずみがじょう をめぐりて、高館 たかだち の下 もと にて大河 たいが に落(お)ち入(い)る 実際に宇治へ訪れたかどうかということははっきりとわかりませんけども、季語は山吹で春の句です
沼 ぬま を尋(たず)ね、人に問(と)ひ、かつみかつみと尋(たず)ねありきて、日は山の端 は にかかりぬ そのように言ってますけども実は芭蕉は何も持っていないわけでして、もちろん曾良がすべて荷物持ちをしていたというわけなんです
袋 ふくろ を解 と きて、こよひの友 とも とす 涼 すず しさや ほの三か月(みかづき)の (はぐろさん) 雲の峯 みね 幾 いく つ崩(くず)れて 月の山 語 かた られぬ 湯殿 ゆどの にぬらす 袂 たもと かな 湯殿山 ゆどのさん 銭 ぜに ふむ道の 泪 なみだ かな 曽良 そら (つるおか・さかた) 羽黒 はぐろ を立ちて、鶴 つる が岡の城下 じょうか 、長山氏重行 ながやまうじじゅうこう といふもののふの家にむかへられて、誹諧 はいかい 一巻 ひとまき あり
29歳の時、江戸へ修行に向かうのでした その為「芭蕉は忍者だった」という説もあります
表八句を 庵 いおり の柱に 懸 か け 置く 霞がかかっていて、雪がいまだに白く残っている
さもあるべきことにや で、俳句は必ず季語はなければならないというふうに思っていらっしゃる方も多いと思いますし、そうでなければならないという句会も沢山あると思うんです
都会の仙台へ 約27Km 21 11月26日 多賀城遺跡を経て塩竈へ 約22Km 22 2006年 3月15日 亀岡八幡宮、大崎八幡宮、陸奥国分寺跡など - 23 3月15日 塩釜から船で松島へ あらたうと 青葉若葉 あおばわかば の 日の光 現代語訳(超訳) 4月1日
前川子 ぜんせんし ・荊口父子 けいこうふし 、そのほかしたしき人々日夜とぶらひて、蘇生 そせい のものに会ふがごとく、かつ悦 よろこ び、かついたはる 「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂」 「曾良は腹を病て、伊勢の国長島と云う所にゆかりあれば、先立ちて行に」 「 行行 ( ゆきゆき )て たふれ 伏 ( ふす )とも 萩の原」 曾良 「と書き置たり
34